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馬券予想(競馬)

【閲覧注意】悲惨な死に方をした競走馬13選【競馬都市伝説まとめ】

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今回は
悲惨な死に方を迎えた競走馬
13頭紹介していくよ

暗い話になるけど
それでも大丈夫な人は
最後まで見てみてね

競馬予発想を変えるだけで回収率は上がる
競馬記者では絶対に書けない騎手の取扱説明書

ポイント

 

カイソウ空襲行方不明事件

カイソウとは
戦前の1941年に生まれた馬である

今でいうダービーに勝利し
菊花賞では1着入選するも
外回り→内回りが正規コースなのだが
騎手の勘違いで外回り2週しており
競争が不成立となり
勝利が取り消された幻の二冠馬

引退後は種牡馬失格の烙印をおされ
陸軍の軍馬となった
1945年5月14日の名古屋大空襲に巻き込まれ
その後、行方不明となっている

カイソウはどこに行きどんな末路だったのか
真相はミステリー小説のような藪の中である

 

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ハマノパレード馬肉事件

ハマノパレードとは
1973年の宝塚記念馬である

2200mをレコードタイムで逃げ切った
グランプリホースは次走の高松宮杯に出走し
レース中にモグラの穴に足を引っかけ転倒
粉砕骨折してしまい予後不良の安楽死処分が下る

ハマノパレードの予後不良は
そこで終わりではなかった

ハマノパレードが死亡したとされる翌日
安楽死のキッカケとなった中京競馬場の所在地
愛知県の食肉市場に入荷された商品

さくら肉『本日絞め』400㎏

何の変哲もないただの食肉製品だったが
食肉業者の間では、とある噂が流れていた

この商品は先日予後不良になった
 ハマノパレードの肉である
」と…

この噂をかぎつけた
スポーツニッポンの記者の調べで
ハマノパレードの悲劇が明るみになった

ハマノパレードは予後不良と診断されたが
直後に安楽死処分はされずに
一晩放置された後、屠殺業者に引き取られた

つまり、ハマノパレードの肉が
食肉加工されていたという
噂は真実だったのである

宝塚記念を勝利したGI馬とは思えない末路に
当時の競馬ファンや動物愛護団体は激怒し
流石に無視できないJRAもルールを厳格化
重度の故障した競走馬の屠殺を禁止
安楽死処分は手続き完了次第速やかに行う

ハマノパレードの悲劇以降
現行の予後不良・安楽死システムが導入された

 

シャーガー身代金誘拐事件

シャーガーとは
英国ダービーを歴代最高着差の
10馬身差で圧勝した名馬である

シャーガーから20馬身差以内で
ゴールしたのがたったの5頭しかおらず
2着馬のジョッキーに
勝ったと思ったら地平線の彼方に別の馬がいた
と言わしめるものの怪物だった

凱旋門賞へのステップレースに
長距離GIセントレジャーを選ぶも
出遅れて4着と負けてしまう

これ以降
セントレジャー→凱旋門賞というローテは
一流馬がやらない鬼門ローテとして扱われるようになる

通算成績8戦6勝(GI3勝)

レーティングは140当時の世界最強と同率1位
(後に136ポンドに下方修正されるも相当高い)
引退後は43億円のシンジケートが組まれ種牡馬入り

そして種牡馬生活2年目
大規模なセリ市が行われる前日
1983年2月8日に悲劇が起こった

武装した6人の男が
シャーガーを馬運車で誘拐
身代金200万ポンド(7億円)を要求してきたのだ

模倣犯が頻発すると大混乱になるという理由で
身代金の要求を拒否した所
犯人サイドとの連絡が途絶えてしまい
最強馬シャーガーは行方不明となった

誘拐犯は見つからず真相は藪の中状態

警察の見解ではアイルランド共和軍の犯行で
誘拐後、シャーガーは殺された見解を出している

犯人はアメリカのマフィア説や、
イスラムの内部争い説など
都市伝説的な憶測が飛び交う未解決事件となった

その後「シャーガーは生きていた」とか
「シャーガーの遺骨が見つかった」など
英国やアメリカのエイプリルフール定番ネタになった

シャーガー誘拐事件は映画化され
一人の少年によって救出されるという
IFストーリーを描かれてもいる

映画SHERGAR

 

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シーキングザパール落雷死事件

シーキングザパールとは
日本競馬史上初の
海外GI勝利の偉業を成し遂げた馬

その見た目も美しく
「週刊Gallop」読者による
現役ナンバーワン美女」ランキングで1位に輝いた

1998年8月9日
フランスのGIモーリス・ド・ゲスト賞で勝利
ちなみにその1週間後にはタイキシャトル
海外GIを制覇している

そんな世界への扉をこじ開けた偉大な馬
想像を絶する悲劇とは誰が思っただろう?

2005年6月10日
アメリカの牧場で放牧されていた
シーキングザパールが死体で発見された

明確な死因は不明であるが
落雷による死亡だと推定されている

享年11歳(人間で言うと38歳くらい)
若くしての他界してしまった

ウマ娘:世界レベルのシーキングザパールの元ネタ徹底解説!死因は落雷?産駒も活躍【アニメ】

 

エガオヲミセテ火災焼死事件

エガオヲミセテとは重賞2勝した
サンデーサイレンス産駒の牝馬である

2000年2月10日
トレセンの厩舎で漏電による火災が発生し
厩舎に居た30頭中22頭が焼死する事件が起こった
放牧されたばかりのエガオヲミセテも
その内の1頭であった

エガオヲミセテ焼死の直後
エガオヲミセテのと同じ音無厩舎所属の親友
ユーセイトップランが7番人気で1着
になった

7戦連続二ケタ着順の馬
グラスワンダー・ステイゴールドを破り大金星

天国に居る親友に笑顔を届けた

2006年には全弟オレハマッテルゼ
GI高松宮記念を勝利し、
姉が届かなかった夢を叶えた

 

サンエイサンキュー過労死事件

人間社会にも
ブラック企業による過労死問題が度々発生する
電通のまつりちゃん事件などがその代表格だ

競馬にも過労死に等しい事件があった
それが1992年のサンエイサンキュー事件

今でいう阪神JFを2着
クイーンC1着など早い時期にOP入りし
GIで馬券になるような活躍をしている馬だったが
3歳になった1992年、超過酷ローテを強いられた

クイーンCを勝利したあと
弥生賞→桜花賞→オークス→札幌記念→函館記念
→サファイアS→ローズS→エリ女と
休みなしで9戦使い続けた

疲労が蓄積したエリザベス女王杯では
5着入選し、賞金も稼いできている

そして10戦目となった
有馬記念で悲劇が起こった

厩舎は休みを取らせる方針だったが
馬主は有馬記念の出走を決断

この時点でのサンエイサンキューは
人が乗ると骨が軋む音が聞こえるほど
身体はボロボロの状態
であった

そして有馬記念ではレース中に骨折し競争中止

馬は足の裏が血流を巡るポンプの役割をするので
骨折して歩けなくなると死ぬほど苦しむ

通常であれば
予後不良の安楽死になるレベルの怪我

それでも馬主は
繁殖牝馬にして金儲けするため
サンエイサンキューに手術を繰り返し行わせた

6度の手術による消耗で馬体重300㎏ほどに減少
さらに蹄が腐る病気まで発症
2004年10月21日、心臓麻痺で他界した

 

シンボリインディ一暴走ゲート事件

4連勝でNHKマイルカップを制覇したGI馬

ダービー卿CTに出走し
11番ゲートに入った時、事件は起こった

シンボリインディがゲート内で暴れ始め
ゲートを蹴とばす音が響き渡り
他馬のゲート入りが中断された

シンボリインディはゲートの中で座り込み
ゲートを潜って前に出た時…
完全に後ろ足が折れたシンボリインディの姿があった

脚3本で立つ姿は惨いとも言えるし
良く立ってられるなと感心するレベルでもあった

馬の脚は第二の心臓
脚を骨折すると血流が廻らず死に等しい苦痛を味わう
1本の脚が完全に機能を失ったインディは
予後不良の安楽死処置がとられた

 

ハードバージ過労死ホースショー事件

ハードバージとは1977年の皐月賞馬である

しかしこの年のクラシック戦線を
当時の競馬ファンは冷ややかな目で見ていた

何故ならマルゼンスキー同世代だからである

当時のルールでは
マルゼンスキーはクラシックは愚か
ほとんどの大レースに出走することができなかった

圧倒的に強いマルゼンスキーが出れない
空き巣のクラシックホース
マルゼンスキーの何馬身も後ろに居る馬

皐月賞に勝ち、ダービー2着だったとしても
ファンからの評価は低いものだった

引退後、
種牡馬成績でもマルゼンスキーに及ばず
わずか数年で種牡馬引退を余儀なくされる

そしてここから悲劇が本格化してくる

乗馬用になるため、去勢手術を行ったが
それでも気性的に乗馬は合わず3か月で引退

その後は福井県の観光業者に買い取られ
ショーに出演する馬車馬となった

90㎏以上のを背負う
過酷なホースショーを3週間ぶっ続けで行い
夏バテにより食欲を失い、痩せ細っていった
そして1987年7月、日射病で倒れ死亡
享年14歳、人間で言うと45歳くらいで他界した

ちなみにダービースタリオン3でお馴染みの
無料種牡馬マチカネイワシミズ
ハードバージの全弟である

ダービースタリオン3

 

トキノミノル破傷風伝説

トキノミノルとは
ウマ娘に登場する駿川たづなのモデルであり
10戦10勝中レコード勝利7回
無敗でダービーを制覇した
日本競馬におけるレジェンドホース

ダービー直後に
歩行がギコちなくなったトキノミノルは
検査の結果、破傷風と診断された

破傷風とは人間にも生じる病気で
傷口から破傷風菌が侵入し
呼吸障害、けいれんなどを引き起こす病で
重症化すると死亡率も高いことで知られている

馬主はダービーの1着賞金に匹敵する額
今の貨幣価値でいう2億円ほどの大金をつぎ込み
トキノミノルを治そうとした
思いは叶わず、ダービーから17日後に他界した

トキノミノルの破傷風治療により
当時、明確な治療法がなかった
破傷風研究が大きく前進したと言われている

伝説の名馬の死は
未来の誰かを救った
のかもしれない

そんな伝説の馬トキノミノル像が
東京競馬場のパドック脇に設置されている

そしてその像が見る方角は西にある
出走する予定だった三冠がかかった
菊花賞が行われる場所…京都競馬場を見ている

ウマ娘:駿川たづな=トキノミノル説&元ネタ解説まとめ【アニメ】

 

悲劇の貴公子テンポイント伝説

テンポイントとは
トウショウボーイ・グリーングラスと共に
TTG三強と言われた流星の貴公子である

関東の人間はトウショウボーイ贔屓が多く
関西の人間はテンポイント推しが多い
彼らのレースは野球で言うところの
巨人阪神戦のような盛り上がりだったと言う

ライバルと言われながら
天馬トウショウボーイに
中々勝てなかったテンポイントは
トウショウボーイのラストランとなる
1977年の有馬記念で激戦を繰り広げ
最後の最後でライバルを撃破した

そして次なる目標は海外遠征
そのための調整レースとして
年明けは日経新春杯に出走することが決まった

ハンデ66.5㎏という超斤量を背負ったものの
楽に追走するテンポイントだったが
4コーナー付近で急遽失速し競争中止

折れた骨が皮膚を突き破るほどの故障で
安楽死を余儀なくされる状態となったが
ファンの多いテンポイントには
絶対に助けてほしい」との声が集まった
JRAと馬主は手術を決断し
33名の獣医が手術を行うという異例の事態となった

しかし思うように回復せず
日に日に痩せ細っていったテンポイントの体重は
500㎏→300㎏以下へと痩せ細っていき
大きな犬程度にしか見えなくなるほど
惨たらしい姿になってしまった

そして最終的に安楽死と言う形で
流星の貴公子、悲劇の貴公子伝説が幕を閉じた

競馬ゲーム・ウイニングポストでは
IF世界として種牡馬テンポイントも実現可能
競馬ファンはぜひ1回プレイしてみてほしい

ウイニングポストをプレイする

 

ナスノコトブキ狂乱安楽死事件

ナスノコトブキとは
1966年の菊花賞馬である
古馬になって長距離GI天皇賞春に出走したが
レース中の故障により競争中止となった

幹部は骨が飛び出してるほどの重症
毒素をまき散らした細菌に蝕まれ
ナスノコトブキは
狂乱状態のまま安楽死処分となった

担当厩務員は
発狂状態のナスノコトブキにけられた怪我と
愛馬が壮絶な死に方をしたのがトラウマとなり
これ以降、厩務員を辞め、競馬界を去っている

 

ヤマノシルエット中津競馬場廃止事件

1999年に船橋競馬場でデビュー
2000年には大分県の中津競馬場へ移籍

最終的には23戦1勝で引退
ここまでだと良くいる地方の無名な馬である

赤字続きの中津競馬場は
類型赤字20億円を超えてしまい
中津市長は中津競馬の廃止を決定した

しかも
中津競馬場閉鎖により
仕事を失う人や馬に一切の補償をしないという
厳しい表明であった

中津競馬に在籍していた馬は300頭ほど

その内の100頭は行き場が見つかったものの
残りの200頭は行き場が見つからず
屠畜(とちく)場に送られ殺処分
となった

週刊誌のグラビアで
ヤマノシルエットの最後を写った写真が掲載され
無名の地方馬の名と姿が全国へと知れ渡ったのだった

屠殺直前の馬の写真…
かなりショッキング…

 

ホクトベガ落馬事件

ホクトベガとは
エリザベス女王杯では勝利したGI馬であり
ダート牝馬最強馬とも言われた名馬である

同期にベガという牝馬二冠馬がおり
エリザベス女王杯ではベガが主役
ホクトベガは9番人気の伏兵だったが勝利した
ベガはベガでもホクトベガ」の名実況が生まれた

その後、
川崎競馬場のエンプレス杯に出走すると
2着に18馬身差もつけて圧勝

鞍上の横浜典弘は
ゴール手前100m地点でガッツポーズ
した
ダート最強女王の誕生である

その後破竹の勢いで
ダートの交流重賞を10連勝
最強の名をほしいままにした彼女は
世界一賞金の高いドリームレース
ドバイWCをラストランに決めた

引退後は欧州に渡り
一流種牡馬と配合するという青写真
も描いていた

しかし、砂の女王に悲劇が訪れようとは
この時点では誰も分からなかった

1997年4月3日
当時は生中継などもされなかった時代
競馬ファンに届いたドバイWCの映像は
4コーナーで落馬するホクトベガの姿
だった

 

しかも落馬した後
横山典弘騎手を守るかのように立ち上がり
彼が他馬に踏まれる二次災害を防いだ
のだった

横山典弘ジョッキーは
自分の強引な騎乗が原因で事故になったと考え
マスコミからもバッシングされ
自殺を考えるほどショックを受けたと言う

ホクトベガ落馬事件以降
横山典弘はポツン戦法を多用するようになる
これは馬の安全を配慮した彼なりの結論なのだろう

実はこの時のドバイは天候が悪く
開催が1週間伸びていた

もし予定通りの開催であれば
ホクトベガがドバイWCを制していたというIFも
あったのかもしれない

現在では地方ダートGIが増えてきたが
ホクトベガが地方交流重賞の価値を
高めた結果
と言われている

全てのダート馬の希望の一番星として
今もなお輝き続けているのだった

砂の女王ホクトベガ

 

悲惨な死に方をした競走馬まとめ

  • カイソウ空襲行方不明事件
  • ハマノパレード馬肉事件
  • シャーガー身代金誘拐事件
  • シーキングザパール落雷死事件
  • エガオヲミセテ火災焼死事件
  • サンエイサンキュー過労死事件
  • シンボリインディ一暴走ゲート事件
  • ハードバージ過労死ホースショー事件
  • トキノミノル破傷風伝説
  • 悲劇の貴公子テンポイント伝説
  • ナスノコトブキ狂乱安楽死事件
  • ヤマノシルエット中津競馬場廃止事件
  • ホクトベガ落馬事件

競馬予発想を変えるだけで回収率は上がる
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