競馬とはブラッドスポーツであり
大人気な公営ギャンブルでもある
しかし一方で
アイドルホースと言われる存在がおり
存在そのものが尊いとされて
応援されるお馬さんも居る
今回は歴代の中でも
圧倒的人気を誇った四天王と言える
4頭のアイドルホースを紹介していこうと思う
ポイント
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もくじ
アイドルホース一覧
初代アイドルホース・ハイセイコー
アイドルホースと言う概念を生み出した
原初のアイドルホース
1970年3月6日生まれ(2000年5月4日没)
父チャイナロック
母ハイユウ
母父カリム
地方6戦6勝 中央16戦7勝
主な勝鞍:皐月賞・宝塚記念
主なライバル:タケホープ・タニノチカラ
種牡馬としてはカツラノハイセイコや
ハクタイセイ、サンドピアリス等
複数のGI馬を出すなどの良い成績を収めた
地方の大井競馬場でデビューし6連勝
その後、中央競馬に移籍した後は
「地方の怪物」として話題を集め
無敗で皐月賞を制覇すると人気は競馬の域を超え
マスメディアに大きく取り上げられるようになり
競馬に興味が無い一般層への認知が拡大し
第一次競馬ブームを巻き起こした
ハイセイコーの登場により
ただのギャンブルにすぎなかった競馬を
レジャーや娯楽として認知されるようになった
ハイセイコーの人気は留まるところを知らず
「さらばハイセイコー」という歌が
レコード50万枚を売り上げてオリコン4位
「ハイセイコーよ元気かい」も14万枚売り上げた
競走馬に関する歌が50万枚売れるのは
後にも先にもハイセイコーしか無しえない
アンタッチャブル記録と言っても良いだろう
引退後、種牡馬になってからも人気は継続し
「ハイセイコー見学ツアー」が大人気になり
牧場に観光バスの行列ができるほどであった
映画にも出演しており
新冠町の知名度を爆発的に高めて
ハイセイコーの名を付けた町の特産品が
飛ぶような売れ行きを見せるほどであった
まさにアイドルホース界のレジェンド!
ちなみにウイニングポスト10では
ハイセイコーの時代の競馬界を追体験できるぞ
競馬ブームを巻き起こしたオグリキャップ
ウマ娘シンデレラグレイの主人公でもお馴染み
葦毛の怪物・オグリキャップは
第二次競馬ブームを巻き起こした馬
父:ダンシングキャップ
母:ホワイトナルビー(母父シルバーシャーク)
地方12戦10勝 中央20戦12勝
ハイセイコーと同じ地方デビューだが
地方の中でのエリートである
大井出身だったハイセイコーに対して
オグリキャップは地方の中でも
低層に位置する笠松競馬出身
生まれた時点で右前脚が曲がっており
デビュー前にはあまり期待されてなかった馬
そして食欲が旺盛な大食いキャラの葦毛
エピソードには事欠かない馬
そんな地方の雑草が中央に移籍して
エリートたちをなぎ倒す姿は
当時の日本国民を熱狂させた
過酷なローテーションの中
タマモクロス、スーパークリーク、イナリワン等
魅力的なライバルと共に名勝負を演じ続けた
オグリキャップの凄い所は
競馬の歴史を次々に変えていった所
■クラシックの2時登録制度
日本ダービーなどのクラシックレースは
クラシック登録されていない馬は出走不可だったが
オグリキャップが出走できなかった影響で
追加登録制度が生まれた
後にキタサンブラック・テイエムオペラオーが
追加登録でクラシック制覇することになる
■競争馬のぬいぐるみ
今では当たり前にある馬のぬいぐるみは
オグリキャップ人気から生まれた商品
大小さまざまなオグリキャップのぬいぐるみが
300万個売り上げ記録的大ヒットとなった
ゲーセンの景品を含めると1100万個
国民10人に1人が
オグリのぬいぐるみを持ってる計算だ
■単勝馬券に馬名表記
オグリキャップの単勝馬券を
的中したのにもかかわらず換金せず
記念として残すファンが多かった
当時の馬券には馬名表記が無かったが
オグリキャップの影響で
1991年以降の単勝複勝馬券には
馬名表記されるようになった
まさに競馬の歴史を変えた馬であり
大きな競馬ブームを巻き起こした馬
オグリキャップが居なければ
90年代の長期競馬ブームは起こっておらず
90年代の馬達を主流とした
令和のウマ娘ブームも起こりえなかった
40年後の競馬界にも大きな影響を及ぼしており
現在の競馬人気があるのは
オグリキャップの存在によるものが大きい
日本競馬史上、最も重要な馬と言っていいし
まさにNo1アイドルホースと言って良いだろう
オグリキャップについては語ることが多すぎる
以前に紹介した記事や動画があるので
気になる人は是非見に来てほしい
お茶の間で大人気・ナリタブラリアン
オグリキャップが巻き起こした競馬ブームは
90年代後半まで続いた
その中で1994年に三冠馬が誕生する
その名はナリタブライアン
兄のビワハヤヒデも名馬であり
最強の兄弟として注目された
ナリタブライアンの人気もすさまじく
2歳戦でナリタブライアンを倒した
GⅢ馬のサムソンビックすら
ゲーセンの景品になるほどの影響力だった
ミリオンヒットのゲームダービースタリオンや
コンビニに行けば競馬雑誌が5~6種類あり
それぞれにダビスタの攻略情報などがあった
少年マガジンで風のシルフィード
少年ジャンプでみどりのマキバオー等
子供たちが競馬に接する入り口が多い時代
明石家さんまがMCを務める
ゴールデンタイムに放送された番組
さんまの何でもダービーで
1頭のアイドルホースが生まれた
その名はナリタブラリアン
当時最強の三冠馬の名前を模した
小さなポニーは森安騎手に調教されると
ポニーとは思えないピッチ走法で
物凄い走りをお茶の間で披露した
あまりの走りっぷりに
競馬評論家の井崎周五郎は
「どんな調教をしたらこうなるの?」
「これは世界最強のポニーですよ」
と、驚愕のコメントを残していた
通算成績は10戦3勝 2着2回(連対率50%)
元GI馬や世界のトップアスリートなど
異種混合レースながら連対率50%は
かなりの強さだと言えるだろう
競馬4コマ漫画うまなり1ハロン劇場では
怪我で不調のナリタブライアンに助言する
ナリタブラリアンが登場するなどした
視聴率16%という大人気番組で
大活躍したナリタブラリアンは
まったく競馬を知らない層にも広く知れ渡り
史上最強のポニーとして
お茶の間で大人気のアイドルホースとなった
死後30年も経つ今ですら
ファンレターが半年で50通も届くほど
根強い人気は未だ建材のようだ
最弱の大人気ホース・ハルウララ
「勝ち組・負け組」という言葉が流行語になった
格差社会という構造が問題視されつつあった
2000年代前半の日本人を勇気づけた馬がいた
その名をハルウララと言う
100回以上走って1度も勝てないのに
一生懸命に走り続けているハルウララ姿に
「負け組の星」として人気を集めた
通算成績は113戦0勝
父ニッポーテイオー
母ヒロイン
母父ラッキーソブリン
ブームのキッカケは
高知競馬の橋口アナウンサーが
アメリカの100戦無敗最弱ホース
ジッピーチッピーの人気にあやかり
日本のジッピーチッピーとして
ハルウララを売り出そうとアピールした事が始まり
2003年7月23日の毎日新聞に記事が掲載され
ハルウララが全国メディアデビューを果たすと
同日のフジテレビ番組「とくダネ!」で
ハルウララが盛大に取り上げられたことにより
ハルウララブームが巻き起こる
ハルウララは1度も勝てない
1度も勝てない馬の馬券は当たらない
「当たらない=交通安全のお守り」として
お守りのハズレ馬券を求めるファンが急増した
普段馬券を購入しない層が
お守りという新たな馬券の価値を見出して
高知競馬は大盛り上がりとなった
アメリカでもハルウララの短編映画が作られる等
その人気は海を越えて行き
アメリカから高知競馬に来るファンもいた
2003年12月14日
記念すべきハルウララの100連敗目には
高知競馬場に5000人以上の観客が殺到し
マスコミ33社、総勢120人もの報道陣が押し寄せた
レジェンド武豊の騎乗が決まると
一目レースを見ようと全国からファンが殺到し
ハルウララの馬券は1日で8億6904万円も売上
当時経営難だった高知競馬の経営を救った
武豊が騎乗するハルウララを生中継した
毎日放送「ちちんぷいぷい」は
同番組史上最高の12.2%の視聴率となった
※瞬間最高視聴率は19.9%
有馬記念時の
みんなのKEIBAの視聴率が5.6%と考えると
地方競馬の馬が1頭で視聴率20%叩き出したのは
異例中の異例と言っても良い快挙と言える
まさに史上最弱の愛されホースだ
ちなみに俺はハルウララに餌を上げたことがある
大人気のアイドルホースまとめ
■原初のアイドルホース・ハイセイコー
■競馬の歴史を変えた・オグリキャップ
■お茶の間で大人気・ナリタブラリアン
■最弱の愛されホース・ハルウララ