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スポーツ等の話 生き方、考え方

宮田笙子が喫煙→体操五輪日本代表辞退に思う事【罪と罰と功績の話】

更新日:

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体操の宮田選手
未成年喫煙によりオリンピック代表を辞退
これが世間で賛否両論の話題になっている

1:素行も良いし、実力もある
2:素行が悪いけど、実力がある
3:素行は良いけど、実力が無い
4:素行も悪いし、実力も無い

明らかに1番良いのは1で、1番悪いのは4だが
2と3ならどっちが価値があるのか
有名人の犯罪による罪と罰、そして功績について
色々と思考実験していこうと思う

詳しくはコチラ

 

有名人の犯罪と功績(例)

  • ダルビッシュ有(未成年喫煙)
    →ドラフト1位、メジャーリーグでも大活躍
  • ビートたけし(器物損壊・暴行)
    →お笑いで日本トップ、映画で世界でも評価される
  • YOSHIKI(酒気帯び運転・スピード違反)
    →日本を代表するアーティスト(文部大臣表彰)
  • 島袋光年(児童買春禁止法違反2回)
    →出所後、人気漫画トリコを描く
  • 尾崎豊(覚せい剤取締法違反)
    →義務教育の教科書で美談として載る
  • 旋律かなの(JKビジネス)
    →アイドルとして活躍
  • デヴィ夫人(傷害)
    →メディアのご意見番として活躍
  • 江頭2:50(わいせつ物陳列罪)
    →TV・Youtubeで大活躍、ネット民にも人気

 

スティーブン・ファンデベルデ選手の出場

2016年に12歳の少女に3件の性的暴行の前科がある
ビーチバレー選手ファンデベルデ選手が
パリ五輪でオランダ代表入りした

 ファンデベルデについて、
同委員会とオランダ・バレーボール連盟(Nevobo)は
先日、専門家に相談して再犯の可能性は
「ゼロ」と判断したと説明していた。

(中略)

われわれは共に良いステップを踏んできた。
全てのアスリートは私にとって大切な存在であり、
彼らをサポートしていく」とし、
ファンデベルデが
「この騒動に屈せず、強く持ちこたえていく」
ことを信じていると述べた。

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/03ede8b0122478f8c20fa5165a92191a7b9970cd

 

宮田選手(未成年喫煙)→五輪辞退
ファンデベルデ選手(12歳性的暴行)→五輪出場

こう見ると宮田選手が辞退するのは
才能的にもったいないとすら思える

過去に犯罪を犯した有名人でも
功績によって世間から認められてる人も多い

これらの例と比べても
20歳未満の喫煙は特別大きな犯罪ではないので
宮田選手も功績によっては
許されるチャンスがあっても良いのではないか
…という意見も多い

それと同時に
未成年喫煙は絶対に許されるべきではない
という意見もあったりもする
※厳密に言うと18歳は成人ではある

罪と功績のバランス感覚
どのラインで引くのが最適なのか
それを思考実験で考えていきたい

 

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令和の価値観は最新=正しいという幻想

この手の話題をすると
必ず反射反応のように現れる
令和の時代には通用しない考え方
今は令和だよ?昔とは違うの
みたいな的外れな主張をし始める人が出てくるが

令和の時代にもなって~は時代遅れの考え
このような考え方ほど愚かな考え方はない

本題に入る前に
このような事を言う人が語る
「令和の最新の価値観」には
何も意味が無い理由
について話したい

こういう考えが令和のスタンダードだと
決めつけてるのは意味が分からない

仮にそれが令和のスタンダードだとしても
令和の時代に~」を枕詞
明治・大正・昭和・平成らの価値観を
古臭いと一刀両断のように言うならば

100年後の世界から見たら
令和の考え方も時代遅れ」になるので
未来人からしたら嘲笑の対象になりえるのを
想像できていない時点で愚かだと思う

なので俺は
未来から見た時代遅れな考え方に
固執する理由は無い
と思っている

そもそも
「時代遅れな価値観」というものは存在しない

あらゆる価値観が
時代と共に流転してるだけ

たまたま現代では
そういうターンが来てるだけにすぎない
(一種の流行のようなもの)

「令和だから」「2024年だから」
「最新にアップデートされた正しい価値観だ」
という主張は間違っている

寧ろ間違いがあると思わずに
他の価値観を否定して回る不気味さ
すら感じる

ポイント

アナタが思う最新の価値観
100年後の世界から見たら時代遅れの価値観
最新には何の価値もない

時代を問わない幅広い哲学こそ価値がある

その哲学をする為の思考実験をする
それが今回の本題となる

詳しくはコチラ

 

罪と功績のバランス

犯罪を犯した者でも
功績が大きければ許せるかどうか

許せるのであれば
どのような罪の重さ
どのような功績の大きさなら許せるか

そのバランス感覚は人によって異なる
平均を取ったらどのあたりでバランスが取れるのか
そういう思考実験となる

 

例えば「立ちションは犯罪」であるが
過去に立ちションした人は
今後、受験で合格点をとっても無効
就職活動の面接も受けさせてもらえなくなる

…というケースがあったらどう思うか

大半の場合は
立ちションくらいでそれは厳しすぎと思うだろう

立ちション経験が無い男の方が少ない
だからこそ犯罪行為だとしても
立ちションくらいで…と思う人が多そうな気がする

俺にはトイレに間に合わず
野糞した成人女性の友人が居るが
厳密に言うと彼女も犯罪を犯したことになる

しかしそれで犯罪者扱いし
今まで築き上げてきたものを全否定し
将来の可能性を大きく狭める処分を下すのは
あまりにも重すぎる
と思う

確かに犯罪行為ではある
そこまで大きな罰と枷を
背負わせるほどのものではない

…このように感じる人の方が多いと思う

 

法定速度1㎞オーバー
これも厳密には法律違反となる犯罪だ

立ちションと違って
運転する人なら男女誰しもが直面する問題
法定速度1㎞オーバーした経験がある者は
受験も就職も制限される
くらい
罰が重いモノだったとしたら…
多くの人が困るのではないだろうか

ルールを守れない奴が悪い」という
正義感を出しまくる主張をする人もいるが
おそらく1度もルールを破らずに
生きてきた人間など10%も居ない
と思う

 

では…

それより大きな罪を犯した場合はどうか

 

警察や政治家、金持ちの身内が
忖度で罪を逃れた場合はどうか

 

仮に100人殺した大量殺人犯が居たとして
その大量殺人鬼が
"滅ぶはずの地球を救う"としたら…?

 

この思考実験はトロッコ問題に近いようで
実は少し違う点がある

トロッコ問題ではどのみち人は死ぬ
1人か5人かの人数の違いのみであって
助かった側やトロッコを動かす側が
その後どのような功績を遺すかは
考慮されていない

 

一方で今回の思考実験では

  • 100人殺す犯罪者を許せば世界は救われる
  • 大量殺人気を処罰すれば地球(世界)が滅亡

100人殺した犯罪者が逆に英雄になる可能性すらある

1人の凶悪犯罪者を許すことで
世界のすべてが救われるというケースがあった場合
凶悪犯罪者を許せるかどうか

 

気に入らない人をいつでも引きずり下ろす為に
無駄にルールに細かく厳しく言う人
がいる

成功者が落ちぶれるのが楽しくて
小さな罪でも大事にして足を引っ張っても
匿名のネット上で批判してる側
何を批判しても自らの生活の安全は保障されている
安全圏からだから言いたい放題言えてしまう

この思考実験では
犯罪者を許さないと世界が滅亡する
自らの安全が保障されない」ということなので

犯罪者を叩く側にもリスクがあるという状況の場合
正義感で「犯罪者を許さない」と思い続けるのか
正義感より実利を優先するのかが浮き彫りとなる

 

思考実験に使える
功績の例

これらの例を当てはめて
どの組み合わせなら許せる
どの組み合わせなら許せない
を考えれば
罪と功績のバランスが見えてくる気がする

   
功績
立ちション(軽犯罪法第1条26号)
法定速度5㎞オーバー
未成年飲酒・タバコ
不法侵入
窃盗
10万円規模の詐欺
強盗
100万円規模の詐欺
法定速度50㎞オーバー
違法薬物乱用
1000万円規模の詐欺
飲酒運転
未成年淫行(男女逆を含む)
傷害罪
強姦罪
公用文書等毀棄
殺人未遂
1人殺人
大量殺人
オリンピックで金メダル
1人の命を救う
10人の命を救う
娯楽で10万人を笑顔にする
娯楽で100万人を笑顔にする
娯楽で1000万人を笑顔にする
国内の経済効果+100億円
生活水準が上がる発明をする
ノーベル賞を獲得する
国内の経済効果+1兆円
滅ぶはずの世界を救う

 

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まとめ

功績について
アナタのバランス感覚はどこにあるのか
他の人のバランス感覚はどこにあるのか
社会がどの位置でバランスを取るのが
生きやすい社会と言えるのか

これを追求していく哲学もまた
面白いんじゃないかと思う

詳しくはコチラ

-スポーツ等の話, 生き方、考え方

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